先日7月23日の誕生日に、Amazonの「ほしい物リスト」を公開してみました。
35歳になりました! 誕生日なので、Amazonの「ほしい物リスト」を公開してみました!(^o^;)
ほしい物リストを公開して「誕生日だからなんかちょーだい!」というのは、普通の人はやらないでしょう。
「卑しい人だと思われたらどうしよう」
「誰も何もくれなかったらどうしよう」
と思うからです。
僕自身、立花岳志さんのブログでこれを知ったときは「なんて大胆なんだ!」と思いました。
本当にプレゼントが届いた!
いざやろうとしても、とても緊張しましたが、「えいやっ」と記事を公開。
すると、意外にもすぐに反応があってプレゼントを贈っていただけたようでした。
ブログもいつもよりたくさん読まれたので、みなさんにも興味をもってもらえたようです。
お世話になっている方や、仲良くしてくれている友人から贈り物が届きました。
本当に嬉しくて、すべての方に写真とメッセージをお返ししました。
贈っていただいた方、本当にありがとうございました!
ほしい物リストから商品が消えていくのはとても不思議な感覚で、イベントとしてもとても楽しめました。
最高に嬉しい誕生日になったので、ほしい物リストを公開してよかったと思います。
ただ存在することに対する価値
人は何かをしてあげたお礼に”対価”をもらう「歩合給」には慣れています。
でも、誕生日の贈り物というのは、「生まれてきてくれてありがとう」という意味を持っているので、「何かをしてあげた=歩合」とは少し違いますよね。
ここで出てくるのが「ただ存在すること」に対する対価、「存在給」という考え方です。
歩合給ベースの考え方では、「頑張った自分」「何かをしてあげた自分」は対価をもらう価値があるけれど、何もしない自分、ただそこにいるだけの自分には価値がないのではと考えてしまいます。
僕はかつて「頑張れない自分」「夢をあきらめてしまった自分」には生きている価値がないと思ったことがあります。
でも家族や友人がそうであるように、「存在そのものに価値がある」という考え方を自分にも適用してもいいと思うのです。
人が幸せになっていくためには、「自分は存在するだけで祝福されてもいい」という一種の「自己承認」を行う必要があるのです。
まとめ
対価をもらうときにどうしても掛かってしまうブレーキを取り去ること。
誕生日にほしい物リストを公開することには、そんな意味もあったのでした。
こんなふうに、気軽に贈り合うことができるような関係が素敵だと思います。
そんなわけでみなさんも「ほしい物リストを公開する」こと、ぜひ試してみてくださいね!
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