コンサート用ピアノ専門の調律師、高木裕さんの著書『今のピアノでショパンは弾けない』を読みました。
高木さんはコンサート用ピアノのレンタルやアートマネジメントをされているタカギクラヴィアの社長です。
ピアノの歴史や作曲者との関係などについて、色々な角度から書かれていて、読み物としても面白かった本です。
クラシック界ではよく言われる、「当時の演奏を再現したものが本物か?」というところに焦点をあてています。
■ショパンの生きていた頃のピアノと現在のピアノはかなり違う
ショパンの生きていた頃はフォルテピアノといって、現在のピアノとはかなり違う楽器で、共通点は鍵盤楽器というだけで、表現の幅や性質がぜんぜん違っていました。
クラシック音楽を、「作曲者の描いた音楽を再現する」と定義するのであれば、当時の楽器ではないからそれはショパンの音楽ではないということ。
ショパンは当時の楽器で作曲をしたので、彼が思い描いた音は明らかに違っていたのだということは想像できるでしょう。
私もフォルテピアノの音は多少聴いたことがありますが、今のピアノとは音の印象がずいぶん違います。
時は流れているのだから、永遠のものはないのと同じで、音楽はどんどん形を変えていくのはしかたのないことだと思っています。
古いものだけ、当時のものを再現したものだけが正しいクラシック音楽というのは、私は単なるエゴだと思っています。
今の楽器で、現代の演奏家がショパンのピアノ協奏曲を演奏したとしても、その音楽家の芸術、そしてそれに感動する観客の心は嘘ではないと思います。
■現在の楽器は「工業製品」
楽器は大量生産、均一なものとなってきていますが、メーカーは「ビジネス」なのでしかたのないこと。
このデメリットは、音楽家の扱う楽器が電子楽器のような特性をもってしまい、個性がなくなってしまうこと。
しかしビジネスでは、大量生産、高品質(均一性が高い)ことが当然のメリットとしてあがるのだから、これは間違いではない。
私がよく知っている管楽器も、100年足らずでかなり変わりました。
クラリネットだけで考えても、それも私の吹いていた期間ですら、新しいキィのしかけや材質のものが開発され、近年そのスピードはどんどん速くなっているように思えます。
もっと良い音に、もっと正確に速いテクニックができるようにと、メーカーや職人が凌ぎを削っているわけですから、進化していくのは当然ですよね。
誰でもいい音が出ます!というのが結構曲者だと思います。
■楽器性能の均一化による演奏家のコモディティ化
ピアノの場合はそういった背景を受けて、「コンクールで入賞する」=「技術点が優れている」という図式ができやすくなっている。
ソロが上手いといっても、楽器の性能が均一なので音楽性がわかりにい。
伴奏をさせて上手い下手でわかるのは、音楽がわかっていないと伴奏ができないから。
確かに、ピアノソロの上手い下手はとても分かりづらいという印象を持っています。
でも、自分の伴奏をやってもらうと本当によくわかります。
上手い人は、欲しい時に来てくれるし、目線や呼吸だけで音楽が合わせられて、「一緒に音楽をしている」という気分になるんですよね。
■現在のクラシック音楽業界について
日本のクラシックを当然と思わないこと。
東京は全世界でも例を見ないクラシックの洪水で、エンターテイメントとしての音楽として消費されている。
均一性のある、優等生な音楽が好まれ、それが普通となってしまった現代。
うんちくばかりでコンサートに行っては批判ばかりするひとが多い。
芸術を楽しむということは何なのかを、じっくりと考える必要があると思います。
パフォーマンスやエンターテイメントとして楽しむのか、自分の心でじっくりと味わうのか、クラシックも二極化していますよね。
どちらが正解というのではないですが、現代はあまりにもエンターテイメントに溢れすぎていると思います。
静かに芸術を味わうという心の余裕を持つことも、大切なのではないでしょうか。
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