2013年9月より、活動拠点を東京に移しました。
前回東京を離れ実家に帰ったのが2009年11月、約4年ほど地元で暮らしていたことになります。
当時、目標も東京にいる意味も失っていた僕は、派遣社員の契約期間が終了したのをきっかけに、実家で暮らすことを選びました。
その間起こったこと、出会った(あるいは再会した)人々は、僕の人生の中でもかけがえのないものになりました。
明日からとある企業でしばらくお世話になりますので、生活の節目として丁度よい機会だと思い、この4年間を振り返ってみたいと思います。
1.学び続けることの大切さを知った
一番大きな転機となったのは、地元に帰った後、職業訓練に参加したことでした。
「スキルアップして就職に繋げる」という同じ目標を持った職業訓練生同士で仲良くなり、お互いに情報交換をしあったり、悩みや不安を共有しました。
その中で、何人かの訓練生が僕に本を貸してくれるようになりました。
それは自己啓発本、ビジネス本と呼ばれるジャンルの本で、当時の僕はほとんど本を読まない人でしたが、何となく借りた本を読むようになりました。
僕が一番影響を受けたのが、勝間和代さん著『起きていることはすべて正しい』という本でした。
勝間さんが書いた自己啓発本で、この本を通学中の電車の中で読みながら、衝撃を受けたことをよく覚えています。
論理的な勝間さんの文章が、「そうか、だから自分はこうなんだ」と納得させられ、「では、どうすれば?」の問いにも明確な答えが示されている。
本を読むことで、物事の受け止め方や見方、自己分析や将来についての考え方など、無限の知識を得ることができる。
「どんな本を読めばいいのか?」という問いには、書籍の紹介をもって答えてくれています。
人生をどう生きればいいかわからず、迷いがあった僕に、道を探すきっかけを作ってくれた本になりました。
「学び続ける」ことを知らなければ、今の自分はありませんでした。
まだまだ道途中ですが、学び続けることの大切さを再確認し、改めて取り組んで行こうと思います。
本を読み始めた頃の本棚の勝間コーナー。
なぜ、もしドラがここにあるのかは不明・・・
2.地元でじっくりと働くことができた
実家住まいで働くという、ある意味リスクを避けた環境の中で、仕事に集中することができました。
それまで大きな組織でしか働いたことがなかったのですが、50人規模の会社で、営業所は2~3人という全く規模の違う組織の中で、学ぶことがとても多い職場でした。
一人で四国中のお客様のサポートをして回っていて、規模は小さいですが経営者の方と会話することも多く、コミュニケーション力が養われました。
厳しい方でしたが良い上司に巡りあい、色々な事を教わりました。
性格は僕と正反対だったのですが(笑)、読んでいる本のジャンルや物の考え方や捉え方など、共通していることも多く、夜遅くまで語り合ったことがとてもよい刺激になりました。
地元で腰を据えて働くことで、「働く」ことに対する不安を拭えました。
それまでは、過去にうつ病になった経験から、仕事に対して漠然とした不安を感じていたのですが、厳しい環境の中で自分自身を見つめ直すことができたことが最大の収穫でした。
本当にお世話になりました。
ありがとうございました!
3.音楽活動を再開できた
2005年にIT企業へ就職し、いわゆるサラリーマンになったのですが、それを期に楽器演奏をしなくなっていました。
働きながら演奏活動は難しかったことと、当時音楽に対してのモチベーションが低かったことが理由でした。
音楽大学を卒業しても、自分で何もできないじゃないか、学生時代に得たものはなんだったのか。
趣味を活かしたIT職の方が、手っ取り早くお金を稼ぐことができたため、余計にそれを感じてしまったのかもしれません。
演奏家にならなかったことに対しての後ろめたさから、自分から遠ざけていたのです。
転機は2010年と2012年でした。
2010年は、僕が本を通じて学び始めたこと。
自己分析をしていくなかで、人生の目標として「芸術音楽に携わる」ということが、自分の中から出てきたのです。
僕は音楽教師の家に生まれ、小さい頃から音楽に触れるのが当然の環境で育ちました。
順調に音楽家への道を歩むのですが、社会の中で自分の居場所を見つけることができませんでした。
音楽からは離れたけれど、サラリーマンとして働きながら経験した様々なことを、最終的に音楽業界へと還元する。
それが自分の役割だと認識するようになりました。
2012年、当時すでに音楽業界に如何にして関わっていくか、などと考えて過ごしていた頃。
母校の三木中学校吹奏楽部のOBブラスが、同期メンバーを中心に計画され始めました。
「これは参加するしかない。」
ちゃんとステージに立つのは5年以上ブランクがありましたが、「参加しなければ一生後悔する」という思いで、クラリネットを引っ張りだしました。
はじめは音は出るものの指はろくに動かず、「吹ける」感覚は知っているものの、体がついていっていない状態で、とても悔しい思いをしました。
特に三木中OBブラスは同級生と再開したり先輩後輩たちと仲良くしたりでとても楽しく、純粋に音楽を楽しむことの大切さ、力を改めて感じました。
現在も事務局のメンバーとして、遠方からですが、ITを活用したサポートを続けています。
音楽活動を再開できたことは、改めて音楽と向き合うきっかけになりました。
上京前、最後の演奏会の打ち上げ。楽しかった!
4.大きな病気をしたことで、生きていることの大切さを知った
病気をしたことは、いいことなのか?と思うかもしれませんが、モノは考え様で、だからこそ健康は大事なことだと気づくきっかけになったということです。
僕は2011年1月に帯状疱疹になり、2012年3月に小脳梗塞で入院、2013年3月に撓骨神経麻痺で入院しました。
大事なかったのもの、わりと大きな病気を3年続けて体験したことで、健康に関する意識が否が応でも高くなりました。
食事、運動、睡眠について、自分の得意な学習能力を発揮して色々情報収集をし、日々改善を心がけています。
特に2012年の小脳梗塞は、自分で立ち上がることが出来ないという状況を身を持って体験し、病名がわかるまでは一生このままなのか?死んでしまうのか?などを本気で考えました。
そこで「やっぱり死にたくない、やりたいことがまだ残っている」と思えたことは、自分の中でも大きな出来事でした。
大きな病気をしなければ、無理をして本当に体を壊してしまったかもしれません。
人生初の入院でした。
10日間の入院はとても大変でした。
5.両親姉弟で過ごす時間ができた
もし、ずっと東京でいたとしたらできなかったことです。
実家にいたらそれはそれで思うこともありますが(笑)、30歳を過ぎて両親や姉と過ごした時間は、かけがえのないものでした。
少なくとも3年地元で働いたら、上京しようと決めていたので、できるだけ一緒に過ごす時間を作ったり、話したりしようと努めていました。
家族と過ごす時間が作れて、本当によかった。
今でも姉とはLINEで、両親はたまーにSkypeなどで連絡したりします。
実家近くの焼鳥屋(笑)また帰ったら飲みに行きたいな~。
おわりに
明日からは新しい職場で、新しい仕事が始まります。
準備期間の2週間で、部屋の片付けは終わり、周辺の散策もでき、体力づくりを始め、友人と再会することもできました。
いい状態で、スタートが切れそうです。